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沖縄・奄美の旅3回目は、糸満市です。
糸満市は、沖縄本島最南端に位置している。沖縄本島南部は、太平洋戦争末期に住民を巻き込んでの大激戦地となった。
ここ糸満市には、沖縄戦にまつわる戦跡が数多く点在している。
↑ 道の駅「いとまん」(糸満市西崎町)
4月16日9時、道の駅「いとまん」出発。
糸満市内のシーサー7カ所を訪ねた後、喜屋武岬へ向かう。 |
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← ↑ 喜屋武岬・平和の塔
海を眺める高台には、一万柱の遺骨を奉納 した「平和の塔」が建っている。
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↑ 平和の塔そばの灯台。
← 喜屋武岬から、海を眺める。
曇り空のためか、青さが今ひとつ。
沖縄戦末期、多くの追い詰められた人々が崖から身を投げ命を絶った場所です。 |
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← 魂魄之塔
沖縄戦で亡くなった方々に捧げる沖縄県の慰霊塔。
平和創造の森公園入り口付近に、鎮座。
魂魄(こんぱく)とは、浮遊霊を慰める意味だという。
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↓魂魄之塔付近、各県の慰霊碑など・・ |
↑ 島根の塔 |
↑ ひろしまの塔 |
↑ 北霊碑 (北海道連合遺族会)
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↑ ひめゆり平和資料館
← ひめゆりの塔
沖縄戦で学徒ながら看護要員として動員 され、、命を失ったひめゆりの少女達の魂を祀っている。 |
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← ひめゆり平和資料館前の散策路
この敷地内に、ひめゆり平和資料館とひめゆりの塔があります。
この周りにはお土産屋がひしめいており、観光客が多そうですが、このときは静かな雰囲気に包まれていました。
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○ 大度浜海岸(ジョン万ビーチ)
糸満市大度243
海岸では、サーファーが遊んでいました。
↑ 200mほど歩くと、ジョン万次郎像がある
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← ↓ ジョン万次郎上陸之地 顕彰碑
指先は、故郷の土佐清水市に向けている。
← ↑ ジョン万次郎像
2018年2月建立
ジョン万次郎は、1827年土佐の貧しい漁師 の次男として生まれる。
漁に出たとき嵐に遭い漂流したが、捕鯨船に助けられる。
アメリカ本土に渡り、帰国後は通訳として活躍した。
幕末の志士たちにも影響を与えた、我が郷土の誇るべき先覚者です。 |
↑ 銅像側のモニュメントより(サクラメントの石製) ↓ 銅像台座のStory より |
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Story 1
万次郎、足摺岬沖で嵐に遭い漂流
太平洋の孤島で捕鯨船に救助される
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Story 2
万次郎、アメリカ本土に上陸
日本人留学生第1号の誕生
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Story 3
日本帰国への第一歩
万次郎、いざ琉球・小渡浜に上陸
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Story 4
万次郎、摩文仁間切番所で取り調べを受ける 荷物には本や地図、ピストルも
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Story 5
万次郎、宿道を歩き翁長村の高安家へ
「いちゃりばちょーでー」精神に触れる
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Story 6
万次郎、封建時代の日本に民主主義を伝える 国際人として活躍、そして開国へ
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4月16日、大度浜海岸駐車場泊
翌日は、雨のためここで連泊する。
4月18日 8時30分大度浜 出発。
平和祈念公園(糸満市摩文仁550)
沖縄戦終焉の地である摩文仁の丘は、険しく 美しい海岸線を望む高台にある。
二度と同じ過ちを繰り返すことがないようにと いう平和への願いをこめて、国定公園になっている。
園内には、沖縄県立平和資料館、沖縄平和祈念堂、平和の礎(いしじ)などがある。
↑ 「平和の礎」西端、平和の広場。
団体観光客が多数、見学していました。
園内は100円で乗れる、電気車が運行されていて便利でした。
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← ↑ 平和の礎、見学の人達と説明板
沖縄戦終結50周年を祈念して、1995年に建てられた。
沖縄戦で亡くなった国籍を問わない23万人余の名前が刻まれている。
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← ↑ 「平和の礎」のごく一部。
圧倒的な量のモニュメントの刻銘が戦争の愚かしさを訴えています。
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↑ 黎明之塔
← 平和の広場より、太平洋を望む
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↑ 牛島満最高指令官、自決の地。
← 摩文仁の丘
喜屋武岬などと同じく、この摩文仁の丘からも沢山の人が追い詰められ、崖から飛び降りて死んでいった。
園内でお花を売っていたので、献花して手を合わせました。 |
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