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場 所 |
京都府木津川市加茂町 |
訪問日 |
2013年5月16日 |
コメント |
当尾は古くから奈良仏教の影響を受け、当時は多くの寺院が建立されていた。
しかし、その後の兵火などで建物は焼け、今は浄瑠璃寺、岩船寺、そして石仏だけが残った。
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← スタート地点の浄瑠璃寺
まず、浄瑠璃寺前の「塔尾茶屋」で
一服し、当尾石仏マップ(100円)を
購入。
これはなかなか役に立ちます。
お薦めです
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↑ ①浄瑠璃寺の近くの空き地に、車
を置いて、番号順に⑫カラスの壷
まで歩き、車まで戻ってきた。
← 浄瑠璃寺境内
「三重塔」と相対し、宝池の西側に
東向きで建つ「本堂」(九体阿弥陀
堂)です。
(夕日が沈む西は、未来の極楽浄土)
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← 浄瑠璃寺境内の説明板
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← ↑ 浄瑠璃寺境内の石仏
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← ②長尾阿弥陀如来磨崖仏
浄瑠璃寺から西小墓地へ向かう府
道に面してある。
高さ2.2mほどの自然石に定印の阿
弥陀座像を浮き彫りしている。
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← 拡大すると、上部が斜めに割れて
いるのが分かる。
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← ③浄瑠璃寺奥の院
不動三尊像
浄瑠璃寺奥の院と言っても、お堂などはなく、この3体の石仏があるだけ。
浄瑠璃寺からは直接行けず、一旦車道に出て、車道から10分ほど、山道を歩いた渓谷にある。
始め車道から奥の院に向かう脇道が分からなかったが、奥の院に行く道の入り口に、大きな石を4個ほどおいてある。
通せんぼしている石を跨いで行くと良い。
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もともと奥の院は、鎌倉時代の永仁4年(1296)に彫られた磨崖陰刻の不動明王像を祀ってきた。
陰刻された瑠璃不動は、滝の上の方にあるが、岩が中央で割れてずり落ちてしまっている。
そこで、近世になって丸彫りの不動明王と矜羯羅・制多迦の二童子の不動三尊を祀ることにしたものです。
← 奥の院「不動明王立像」
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← 脇侍の制多迦童子(せいたかどうじ)
と矜羯羅童子(こんがらどうじ)
↓
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↑ ④西小墓地の石仏
← ④西小墓地前の石仏
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← ④西小墓地の石仏(拡大)
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← たかの坊地蔵
小さな石仏群の中で、ひときわ立派
な船形光背の地蔵尊です。
鎌倉中期に彫られたもので、他の小
石仏群は、室町時代に彫られてい
る。
↓ たかの坊地蔵の脇に並んでいる
小石仏
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← ツジンドの焼け仏
両脇の椿の樹に囲まれているが、焼
け爛れて大きく割れ目の入った姿が
痛々しい。
↑ 車道から右の方へ登って行くと、
ツジンドの焼け仏がある。
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↓ 大門の仏谷への道。
車道は「加茂青少年の家」までで、
すぐ山道になる。
← 大門仏谷の大磨崖仏
当尾では最大の石仏。
6メートルもの岩を彫ってあり、像高
288cm。
鎌倉時代初期?最古の物だろう。
近くまで行く道は、荒れており、谷越し
にしか、拝む事が出来ない。
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← 上写真の小さく見える磨崖仏を望
遠で撮りました。
※ 当尾の石仏巡り②へ続く |
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