石仏・道祖神に会いに・・ 庵礼二十四輩・巡礼の石仏(17番~24番)  


           ↑  庵礼二十四輩霊場 第十七番
場 所 香川県高松市庵治町
 訪問日  2017年11月16日~18日
 コメント
 庵礼二十四輩の石仏巡り、3回目は17番から最後の24番までを訪ねます。


 ○ 17番 落合 

    牟礼町牟礼3173


 ← 阿弥陀如来像 刻字 「第十七番
   常陸国 照願寺 大正七年五月

    ↑ 洲崎寺・南西角のお堂 十八番 阿弥陀如来像
  ○ 18番 洲崎寺塀の外 

    牟礼町牟礼2691

 ↑ 格子戸の中、阿弥陀如来。


 ←↑ 洲崎寺境内の石仏
  ○ 19番 金刀比羅宮

    牟礼町牟礼3534付近





 ←↑ 牟礼町 牟礼久通り 金毘羅宮

 ↑ 十九番 阿弥陀如来像
  ○ 20番 阿弥陀堂内 

    牟礼町牟礼




 ← ↑ 二十四輩霊場 二十番
   

 ↑ 二十番 阿弥陀如来像

   刻字 「二十四輩第二十番 常陸
       国 常弘寺 大正十年六月」



 ← 善光寺式阿弥陀三尊


  ○ 21番 湯谷西天神社南 

    庵治町333




 ←↑ 高松消防団庵治分団第四湯
     谷屯所の裏山にある。






 ←↑ 二十一番 阿弥陀像


     刻字 二十四輩第二十一番
   ○ 22番 松尾 双子池南

     庵治町松尾




 ←↑ 双子池・南の道路沿いにお堂。




 ←↑ 第二十二番 阿弥陀如来像

    刻字 「御苦跡 廿四輩 二十
        二番 常陸国 唯信寺」

  ○ 23番 原ノ内

   庵治町原の内



 ←↑ 第二十三番霊場と塚

    親鸞聖人と、村田刑部の妻とむ
    その幽霊。
 由緒

 承久3年(1221)、時の地頭、村田刑部の妻が難産のため、19歳で死んだ。
在所の無量寿寺の境内に葬ったところ、残された子供が心残りなのか2,3日経った頃より、迷いの姿をあらわすようになった。
生前美人であった刑部の妻は、恐ろしい鬼女と化し人々は、おそれおののいた。
無量寿の僧は、懸命に座禅、読経して鬼を鎮めようとしたが功なく、僧は寺を捨ててしまった。無住の寺は、鬼女の住みかとなった。
刑部等、これを不憫に思い、供養の方法を考えていたところ、近くを親鸞聖人が通りかかることを聞き、早速聖人を招いて鬼女の成仏の法を聞いた。
 聖人は村人たちに、多くの小石を集めさせ、その石の一つひとつに、浄土三部経26,612字を書き写し、これを鬼女の墓に埋め、念仏を唱えた。
翌日、鬼女は菩薩となって、人々の前に現れ、その後、二度と現れなかった。
 以上のような説話が、第3番無量寺にあり、幽霊済度の御旧跡として有名である。
庵礼二十四輩の場合、どんな理由があったのか、第二十三番に祀られている。
 ○ 24番 宮東墓地・地蔵堂内

   庵治町4082




 ←↑ 宮東墓地 地蔵堂


   
   ↑  堂内の閻魔大王と 閻魔様       地蔵堂そばの石仏  ↓


 ↑ 二十四番 阿弥陀如来像

  刻字 「第二十四番 常陸国
      西光寺 唯円坊 天保
      十一年十一月 総供養塔」
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