↑ 入口には、「入新町百番観音」の標識が立っている。 |
場 所 |
長野県佐久市春日入新町 |
訪問日 |
2013年9月30日 |
コメント |
佐久市春日の入新町集落から200mほど南の東斜面にある。
石仏の里コースの一番奥にあり、「入新町百番観音」とも言われます。
佐久市には「百番観音」と呼ばれるものが、ほかに2ヶ所あります。同じ望月地区の印内には、昭和63年に建立された、160体余の石仏からなる昭和百番観音があります。
また、取出町には「取出百番観音」がある。こちらは1742年のもので、石仏ではなく、金色に輝く観音木像99体と阿弥陀如来像が堂内に納められている。
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~標識隣の教育委員会の説明文~
当山は、寛永六年(1629)に岩下新田を 開発した飯塚勘右衛門が開基し、修験者の宥伝により中興開山された。
山腹の岩壁の裂け目に上屋が造られ、そこに木造馬頭観音立像が安置されている。
江戸時代末期から明治時代初頭にかけて当地の武田喜右衛門の発願により、佐久地方の馬主たちが、馬の供養と安全を祈願して、百体の観音像を寄進し一大霊場となったものである。
なお、作者は多くの名工を輩出した、信州高遠の石工、矢嶋楢蔵政永と小平菊弥である。
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山内には閻魔大王、三途の川で亡者の衣をはぎ取る脱衣婆像も建立されていて、当時盛んに信仰された西国・坂東・秩父の百番札所巡りの霊場として庶民に信仰されたのである。
山腹の露岩には、石仏が数体あるいは十数体が寄り添うように造立され、雑木林の中に静かなたたずまいをみせている。
※教育委員会の看板写真をそのまま
載せようと思ったが、ピンぼけになっ
ていた。
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← ごらんのとおり、雑草が伸び放題
です。
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登山口付近の写真ばかりですが、もっと上がっていけば、懸崖のお堂があったようだ。
だが、道は狭くてこの先にお堂があるとは思えなかった。
残念!見逃してしまった。
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