石仏・道祖神に会いに・・ 笛吹市の石仏  


   ↑  保雲寺、本堂左の石造物群の中に首地蔵(でか地蔵)
場 所 山梨県笛吹市
 訪問日  2018年10月16日、20日
 コメント
 笛吹市。童話の世界から出てきたロマンチックな名前ですが、市名の元は市内を流れる笛吹川からとったものです。

 ・保雲寺の首地蔵
 ・長谷寺
 ・石林寺の地蔵と聖観音
 ・宝珠寺裏山の百番観音
 ・宝珠寺
 ・長徳寺の一石六地蔵

 の6ヶ所を巡ります。

 ○ 保雲寺の首地蔵 

    笛吹市春日居町鎮目1414

 

  ↑ 保雲寺、境内の鐘楼。




 ← 保雲寺の首地蔵

   自然石の上に、仏頭を載せている。

  ○ 長谷寺   

    笛吹市春日居町鎮目3681



  保雲寺の裏手から、ぶどう畑の間の
 道を2kmほど登った山の中にある。
 長谷寺の入り口付近。

  ↑ 金剛力士像 阿形・吽形  → 
 


  ← 長谷寺の胎内くぐり(右端) 
    (上写真は、拡大))



   上部は如意輪観音像ですが、台座
   下部に直径37.7cmの穴が開けら
   れている。
   妊婦がこの穴を潜り抜けると、安産
   が保障されるという信仰があった。

 


 ←↑  長谷寺精霊庵
 

      ↑  長谷寺精霊庵、上部の如意輪観音像
 
  ○ 石林寺の地蔵と聖観音  

    笛吹市一宮町石




 ←↑ 石林寺

     周囲にぶどう畑が広がる中に、
     ぽつんと建っています。
 

  ↑ 地蔵  台座に「供養塔」の刻字

    石工名 信州高遠石工 千代蔵
 
    造立 文政10年(1827)8月



 ← 聖観音

   造立 延享2年(1430)8月
 
  ○ 宝珠寺裏山の百番観音  

    笛吹市芦川町中芦川638

  百番観世音は、天文年間、足利常元
 によって建てられたと伝えられている。
 足利常元は、室町幕府の足利将軍の
 縁者と思われ、応仁の乱をさけて甲斐
 逃れてきた。芦川の里に住みついた。
 武門安寧、子孫繁栄を願って西国三十
 三ヶ所、秩父三十四ヶ所、坂東三十三
 ヶ所の霊跡をまわり、各所の土を持ち
 帰った。
 ここに観世音百体を、安置した。
 その後、度重なる災害で埋没、流失し
 て、この地に飢饉や悪病が蔓延した。
 観世音に救いを求めた里人たちは、
 天保13年(1843)に、再建を果たした。

 ↓ 百体観音から幾つかを掲載
 
 
 
  ○ 宝珠寺  

    笛吹市芦川町中芦川 613




 ←↑ 宝珠寺、山門と境内。


  山深い墳墓の地の宝珠寺に やさしく眠る 「いちの」観音麗しき(台座の刻字)
 


    ↑  観音像横の石仏
  ○ 長徳寺の一石六地蔵  

    笛吹市芦川町鶯宿





 ←↑ 長徳寺、山門と境内の石仏。

         ↑    長徳寺の一石六地蔵
 
      ↑   観音像
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